東北に生まれた“常夏の楽園”|Clips
 Clips

東北に生まれた“常夏の楽園”

東北に生まれた“常夏の楽園”

2024.7.5

福島県いわき市の一大リゾート施設と言えば「スパリゾートハワイアンズ」です。
創業当時の奇想天外なエピソード、歴史に迫ります。

炭鉱から観光へと変貌

屋内プールや温泉、ホテル、ゴルフ場まである総合リゾート「スパリゾートハワイアンズ」。前身の「常磐ハワイアンセンター」時代から、多くの人たちに愛されてきた施設です。でも、どうしてハワイなのか、温泉はどこから湧いているのか、どんな歴史をたどってきたのか、気になりませんか?
 
19世紀後半~20世紀前半にかけて、現在のいわき市周辺は炭田がひろがる町でした。しかし原油輸入の自由化などの影響を受けて石炭業界は没落。このエリアで石炭業を営んでいた常磐炭鉱は会社の生き残りをかけ、事業の大転換を図ります。
 
そこで思いついたのが、炭鉱地下からじゃんじゃん湧き出て、労働者たちを困らせていた温泉水の利活用でした。
「ただの温泉じゃつまらない、湯量が豊富な源泉を利用すれば、年間を通して楽しめる常夏の楽園を人工的に作れるのでは!」 とひらめいたのです。常夏と聞いて誰もが想像するのは「ハワイ」。「常磐ハワイアンセンター」の施設名は当時、日本人が行ってみたい外国ナンバーワンのリゾート地から命名されました。
 
あまりの大胆な事業転換に社内からも反対の声が少なくなかったなか、常磐炭鉱副社長だった中村豊氏が先頭に立って1966年にオープン。施設で働く従業員はすべて炭鉱関係者から採用しました。

創業当時の従業員は
すべて炭鉱関係者だった

日本初のテーマパークである「常磐ハワイアンセンター」ができた’60年代、一般人が海外旅行に行くのは高嶺の花でした。そんななか、福島県内はもとより首都圏や東北地方からも気軽に行けて、海外旅行気分が味わえる同施設が注目されたのは当然の流れだったと言えるでしょう。オープン当初から大人気となり、創業間もない1970年度には年間入場者数150万人を超えるまでになりました。
 
その後、高度経済成長の終焉などとともに利用者数が減ってしまった時期もありましたが、知恵と工夫でサバイバル。オープン25周年の1995年に施設名を「スパリゾートハワイアンズ」へと改名し、「スプリングパーク」などの新たな施設もオープンさせました。
 
ところで「スパリゾートハワイアンズ」と聞いて、映画『フラガール』を思い出す人は少なくないでしょう。フラダンスを中心としたポリネシアンショーは今でも同施設を象徴する名物ショーです。このショーで踊っているフラガールの皆さんは、実は全員、同じ専門学校「常磐音楽舞踏学院」の出身。それもそのはず、この学校はフラガールを養成するために前述の中村氏が設立した学校なのです。「常磐ハワイアンセンター」建設当時はフラダンスが一般的ではなく、1期生は炭鉱関係者の子女から集められました。映画のなかで松雪泰子さんが演じた平山まどかのモデルになったカレイナニ早川(早川和子)さんは90歳を超えた今も現役で同学校の最高顧問を務め、後進の育成に励んでいます。


常磐ハワイアンセンターは着工からわずか1年でオープンしました。ハワイを思わせるヤシの木は、炭鉱関係者の手で植えられました。

常磐ハワイアンセンター、オープンの告知ポスター。1966年は周辺の14市町村が合併し、いわき市が生まれた年でもあります。

VISITED PLACES

Spa Resort Hawaiians


福島県いわき市常磐藤原町蕨平50
Tel.0570-550-550
オフィシャルサイト

 

LINEで送る
Pocket

    Related Posts