小名浜の夏の風物詩を支える人たち|Clips
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小名浜の夏の風物詩を支える人たち

小名浜の夏の風物詩を支える人たち

2023.09.15

プレイベントの「おなはま海遊祭」、前夜祭の「いわきおどり小名浜大会」、そしてメインイベントの「いわき花火大会」が開催される小名浜の夏。
お祭りが全国的に縮小されていく時代に風穴を開けるかのごとく、夏の風物詩として小名浜を盛り上げ続けています。今年で第68回を迎えたイベントの実行委員会が繋いできたのは、漁港の街・小名浜の誇りでした。

いわき花火大会

実行委員会が
受け継いできたのは、
花火大会への想い

「いわき花火大会」の準備が始まるのは、1年が始まったばかりの2月から。約190人にのぼる実行委員会が募金販促、広報、警備、設営、物産展、おどり、花火、海遊祭の8つに分かれ、開催に向け検討を重ねていきます。実行委員会にボランティアで参加する人たちが、花火大会を第68回まで受け継いできました。

「彩り」をテーマに開催された今年の花火大会は、4年ぶりに海遊祭といわきおどりを復活させてのフルスペック開催に。実行委員会がセレクトした音楽に合わせて打ち上げられた花火は約10,000発にのぼり、約65,000人の来場者が夏の夜空を見上げ、イオンモール館内のビジョン中継でも子どもたちが涼しく花火を見つめました。

実行委員会メンバーの記念撮影

リハーサルの様子

大会終了後、ボランティアによる清掃活動の様子

当日は交通整備や警備も万全に

夏の小名浜港には南風が吹くため、煙で花火が見えない状況になることもあるそう。しかし今年は風向きもよく、実行委員会委員長の正木さんも「できすぎ」と語るほど、絶好の花火日和となりました。FMいわきでラジオDJを務めるBETTYさんのアナウンスでは、花火のわかりやすい解説も。

そんな花火大会にはさまざまな想いが込められてきました。海の安全祈願に始まり、最近ではウェディング花火や亡くなった実行委員会メンバーへの鎮魂の花火、そして震災後の鎮魂と復興への願いを込めた花火があったといいます。震災のあった2011年には、「たった1発でもいいから花火を上げませんか」と強い想いで花火大会を開催。地元住民にとって希望の花火になったこともありました。
こうして長きに渡り受け継がれてきた花火大会。花火委員会委員長を務める上野台さんは、花火へ込めた想いを教えてくれました。

「いろいろなものを繋げているのがこの花火大会。僕にとって花火大会は、受け継いできた誇りそのものかなと思っています。」

小名浜のベイエリア発展を
象徴するいわき花火大会に


実行委員会全体をまとめる実行委員長の正木さん。今回で68回を迎えたいわき花火大会、おなはま海遊祭、いわきおどり小名浜大会を振り返りお話を伺いました。

「現在の規模で開催する海遊祭、いわきおどり小名浜大会、花火大会のイベントは、全体で一億円もの予算が必要なのです。財源の一割はいわき市からの補助金。残り9割は経済界、産業界そして多くの市民の方々の心温まる協賛金や有料席販売などが資金源なのです。さらに、資金のほかに付け加えなければならないのが、3つのイベントを担当する委員の存在です。皆さんは全員がボランティアでの参加で、その熱き思いが、大会成功の絶対条件なのです。」と話をされました。

実行委員会に参加するすべての人がボランティアだということにも驚きますが、その人数は総勢でなんと190名の大所帯。年初から始まる3つのイベントの準備で実行委員長として大事にしていることも教えてくれました。

「全ての委員会メンバーを心からリスペクトしており、常に彼らに感謝の念を抱きながら接するように心掛けています。また、行政サイドとのコミュニケーションにも心掛けています。とにかく実行委員の皆さんの熱意と献身的な行動には頭が下がります。苦労も多いのですが、花火大会当日に会場が喜んでいる様子や子どもたちの笑顔に触れると、やってよかったなと思える瞬間であり、それが何よりも嬉しいのです。」

最後に、受け継いできたものを守り、繋げていくことへの想いを聞きました。

「特に花火大会は、いわきのベイエリアの賑わい創出に寄与するいわき市最大のイベントです。先人たちが築き上げてきた地域の伝統と文化を継承する大切な行事です。このような伝統と文化を継承して地域を活性化させていくことで、地元で育った人たちにも自分の生まれ育った郷土を再認識していただくことが大事だと思っています。来年以降もこれらのイベントを地域の皆様と協力して実現してまいりますので、宜しくご支援願います。」

いわき花火大会実行委員会 実行委員長
正木 好男さん

大事なのは事故なく
花火大会を終えること

「いわきの夏といえば海遊祭、いわきおどり小名浜大会、花火と3つ揃っての大会でしたので、昨年は花火大会のみでの縮小開催となり寂しかったですね。今年は花火の量も100%に戻せたと思います。」

そう語るのは、花火委員会で委員長を務める上野台さん。花火委員会では年始頃から選曲を始め、それをもとにどの花火を上げるか、打ち合わせを重ねていきます。
「選曲では飽きないような抑揚のある曲や、幅広い世代が楽しめるような曲を選ぶようにしています。花火自体も今年のテーマに合わせて、彩りが豊富なものを準備しました。全国的に見ても良いクオリティなんじゃないかなと思っています。」

5月以降からは海での開催に備え、海上保安庁や警察、消防、県の港湾建設事務所から国土交通省などとコミュニケーションを取っているとあっという間に7月に入ってしまうそう。当日は上野台さんが打ち上げのタイミングを指示する大役を担っています。
「BETTYさんとの練習は、今年は3回だけでしたね。もうお互いに慣れているので。前日に花火の準備が終わると、夜通し花火の見張りもするんですよ。」

花火が防波堤へセットされたあとは、火薬での事故が起きないよう寝ずの番をします。交代で車に戻って仮眠をとったり、昔は防波堤にテントを張って寝ていたこともありました。
スマートフォンのライトを一斉に掲げる来場者の様子や歓声で苦労が実った今年の花火大会。次世代に繋ぐためにも上野台さんの試行錯誤は続きます。

「花火やお祭りだけではなく、まちづくりの部分を繋いでいかなくちゃいけないので、いろいろなものを伝えながら一緒にやっていこうというスタンスを現場は持っています。若い人をスカウトしながら、小名浜だけではないいわき市内の地区とも交流を図っていけたらと。」

いわき花火大会実行委員会 花火委員会 委員長
上野台 祐一さん

おなはま海遊祭

新型コロナウイルスの影響で、4年ぶりの開催となった「おなはま海遊祭」と「いわきおどり小名浜大会」。4年のあいだに実行委員の顔ぶれも変わり、久しぶりの開催に不安も多かった様子。それでも無事に開催できたのは、企業や役所、そして運営を手伝う若者たちをはじめとする地元の人々の協力があったから。
例年以上にみんなで作ったお祭りになりました。

夏のイベントとして根付いた海遊祭

今年で19回目となった、花火大会のプレイベント「おなはま海遊祭」。1986年から「船の博覧会」という形で始まったイベントです。当時の磐城青年会議所が、小名浜の水族館「アクアマリンふくしま」が開館することを機に小名浜港を観光地化する目的で港を一般開放し始めたところから始まり、徐々にマリンスポーツや体験乗船イベントに変わり、今の形になりました。

海遊祭で子どもに人気のバナナボートは、振り回されて海に落ちることも醍醐味。海を全身で楽しむアクティビティには、安全が欠かせません。運転は地元のメンバーが担当しており、来場者に安全な体験乗船を提供するための運転練習をしています。さらに、もしものことがあったときのために救助の練習も。海上保安庁の監督と監視があるなか、委員会メンバーも心臓マッサージなどの基本の救命処置から、実際に海でブイを人に見立てて救助する実践まで、本格的な救助を学んでいるそう。そういった練習を、ほかの委員会と同様の準備と同時進行で重ねていきます。

アクロバットジェットスキーのショーはプロが担当。茨城や千葉、新潟、京都まで、海遊祭を好きになってくれた各地のプロの方々が小名浜まで協力しに来てくれるのだとか。今年は世界チャンピオンが参加し、4年ぶりの開催となった海遊祭に華を添えてくれました。

「県外のお客さんを増やすきっかけにして、小名浜観光を楽しんでもらいたいですね。花火だけではなくプロを呼んだショーも目玉に、PRをしていきたいなと思っています」
そう語るのは海遊祭委員会委員長の仙坂さん。港での遊び方を提案しながら、これからも小名浜を盛り上げるために祭りを繋いでいきます。

地元での繋がりが
できるようなイベントに


今年の海遊祭は4年ぶりの開催となりました。海遊祭委員会で委員長を務める仙坂さんは、率直な感想を語ります。

「お客さまがまた来てくれるかどうか不安でした。スタッフのほうも準備が滞りなくできるか、体力面は大丈夫かという懸念はありましたね。」

とはいえ安全面の準備も抜かりなく、子連れでも安心して遊べる場になっていました。

「1カ月以上前から海上保安庁と書類のやりとりや打ち合わせを2、3回ほどしながら、どのようなイベントになるかを説明させてもらっています。当日の監視もお願いしているので、一番大事な安全面でとても助かっています。」

久しぶりの開催にもかかわらず多くの来場者が足を運んだ今年の海遊祭。地元に根付いたイベントになっていることが伺えます。

「昔からの夏の恒例イベントとして市民の皆さんに伝わっているので、開催が決まると自然と集まってくれるようでした。」

来場者に夏の風物詩として受け継がれている一方で、委員会メンバーのなかで伝わっているものもあるのだとか。

「地元のメンバーにゴムボートやジェットスキーの免許を取ってもらい、体験乗船のインストラクターとして活躍してもらっていますが、そのメンバーの娘さん、息子さんが一緒に免許を取ってくれることもあります。ほかにも東京の大学へ行った人も海遊祭の時期には小名浜に戻って協力してくれたり、復興ボランティアに来ていた人がそのまま残ってくれたり。そういった地元での繋がりができるようなイベントになってきていると思います。」

いわき花火大会実行委員会 海遊祭委員会 委員長
仙坂 宜央さん

いわきおどり小名浜大会

4年ぶりの「どんわっせ」が響いた夏

例年では7,000~8,000人もの観覧が集まるという「いわきおどり小名浜大会」。海遊祭と同様に今年は4年ぶりの開催となり、近隣店舗や企業などをはじめとする48チームがおどりに参加しました。それぞれが揃いの衣装で「どんわっせ」と大きな掛け声を響かせ、街中を踊る様子は迫力満点。掛け声が解禁されたからこそ戻ってきた小名浜の夏となりました。

いわきおどりの準備は、4月頃から本格的に始まります。大きな音が出たり道いっぱいに参加者と観覧客が押し寄せたりといった状況になるため、おどり委員会ではあらかじめ会場周辺にお住まいの方や店舗などに繰り返し挨拶回りをし、理解と協力を得ることも忘れずに心掛けています。

いわき市の平(たいら)や勿来地区でもいわきおどりは開催されており、それぞれの優勝チームを決めます。今年の小名浜大会では、小名浜支所の支所長、アクアマリンふくしまの館長、小名浜海星高校の副校長先生に加え、イオンモールの新入社員、さらに福島工業高等専門学校の学生に協力を仰ぎ5人が審査員を務めました。

ここでも若手に働きかけることでさまざまな視点を持とうとしたり、祭りを引き継ごうとしたりといった努力が。また、審査員は踊りに精通した人をあまり選ばないことで、気軽に参加しやすい雰囲気作りをしているといいます。

花火大会や海遊祭とは異なり、いわきおどり小名浜大会は市民の生活の場で開催されます。地域の人からの理解を得ながら開催することは苦労も多いですが、そのぶん祭りに触れる人数が増えることも確か。こうしていわきおどり小名浜大会では自分たちが受け継いできた小名浜の夏の風物詩を若い世代へ橋渡しを続けています。

激励や感謝の言葉が
直接届いた2023年


いわきおどりは、いわき市市政15周年を記念し、昭和56年に制作・制定されたイベントです【市民の誰もが気軽に歌い・踊れる市民共通の踊り】として定着しています。 昨年はイオンモールいわき小名浜で小規模で大会が開催されたいわきおどり。おどり委員会委員長の鈴木さんは、当時の参加者が300人程度に留まった様子を見ていたことで、今年の開催に不安を感じていたと語ります。

「例年では2,200人ほどの参加者が集まりますが、状況の難しさもあるので今年は半分くらいになるのではないかと思っていたのが正直なところです。」

そのうえ、コロナの影響で準備のスタートが後ろ倒しになり、過密スケジュールになっていた苦労があったといいます。さらに、4年前のいわきおどり小名浜大会を経験しているスタッフの中で参加できない人もいたので、実際に準備へ参加できたスタッフはなんと3人。コロナ禍で披露する場がなくなってしまい、本踊り前に参加していた地元の郷土芸能を披露したり太鼓を演奏するクラブがなくなったり、課題も多い中でどうにか開催まで漕ぎつけました。

「今回、イオンモールでスタッフの方を出してくれたり、ほかにもフォローしてくれていた人がたくさんいたのでなんとか当日まで来られました。」

そして、当日に集まった参加人数はなんと1,800人ほどになったそう。新聞での発表やイオンモールいわき小名浜からの参加賞の協力も後押しし、例年に近い形で開催できました。

「新聞発表のあとにはメールやファックスで激励や感謝の言葉をいただいて、非常に嬉しかったです。」

いわき花火大会実行委員会 おどり委員会 委員長
鈴木 貴孝さん

撮影:小堀 裕介 / テキスト:Koharu Ishizuka

 

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